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元コンサルリーマンの雑記ブログ

グレイテスト・ショーマン(監督:マイケル・グレイシー、2017)

華やかな映像盛りだくさんだがテーマはあいまい・・・? キレイだがストンと腑に落ちて来ない作品だった。

実在する興行師P.T.バーナム(ヒュー・ジャックマン)の半生をモチーフにした映画。105分。彼が成功を勝ち取ってからの苦悩がメインなので前半は成功を掴むまでサクサク進む。

成功を掴んだあたり(リンド(欧州の大人気女性歌手)の初米国公演)から暗雲が立ち込めるのだが、実はこれと言った苦悩の核がない(欲を出し過ぎたというのが一応あるが)印象だった。だから後半の姿がつかみにくい映画だった。
後半モヤモヤの原因はミュージカルタッチにもあるのだろう。基本的にミュージカルを歌いだすと悩みが吹っ飛んでしまう。だから苦しいシーンでも苦悩に満ちた印象が散ってしまうのかもしれない。

ひょっとしたらバーナムが欲にまみれてリンドの全米ツアーに行くところで、ものすごい邪悪な歌でも歌ってくれれば「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とか「身近にある幸せ」とかの苦悩テーマが際立ったのかもしれない。まぁ雰囲気台無しだからやらないとは思うが、ちょっと健全さを保ちすぎて面白みを削ってしまったのではないだろうか。

前半のグイグイ進む力を使って、いろんな場面のミュージカルシーンを描けるのはよかった。これだけたくさんミュージカルシーンがあるのにそれぞれ重複感がないのはすごいことだと思う。

そしてヒュー・ジャックマンがカッコよすぎで、それだけで満足できるレベルだった。彼は監督と次回作への準備をしているとのこと。そりゃ「ミュータントだー!」とか言って爪を振り回す役より、きれいな衣装を着て歌声を披露する役の方がいいよねぇと思った笑。

 

 

成功まで一気に駆け上がる前半

映画を観ていると「あれ、都合よくポンポン進むぞ」と感じる箇所が必ずある。それが前半ならいい映画で、後半ならやばい映画だと思う。この映画は前半が都合よくポンポン進んでいく。

この映画で異常なテンポを感じるのは、例えばバーナムが小人のチャールズをフリーク・サーカスの出し物として雇おうとするところだろう。チャールズははじめ、「笑いものになるだけだから」と誘いを断る。
そこでバーナムは「将軍の衣装を着ればみんな頭を下げる」とかなんとかいうのだが、たったこの程度の売り文句で小人のチャールズ(22歳)は満面の笑みで承諾してしまうのであった。いいのかそれでw
さすがにこの人物描写の軽薄さは異常事態である(22年間迫害された人間がこんな軽いはずない)。

これほど都合の良い展開を観ると、脚本サイドからの「別にここ大事じゃないから、キャラだけ覚えといて」というサインだと感じることにしている。描きたいのはここではなくその先ということだ。

前半は以下の順に話が進むが、だいたいずっと都合が良い。
「身分差のある妻と結婚」→「バーナム博物館失敗」→「フリーク・サーカス大成功」→「フィリップとの出会い」→「イギリス女王に謁見」→「リンドのショーが大成功」(記憶ベース)
他にもエリザベス女王への失言を女王が爆笑して丸く収まるところなんかもわかりやすく雑である。

この映画が描きたいところは成功後のバーナムの苦悩だからさっさと大成功させてしまった。なおパキパキ進むがそんな中でバーナムの家族の書き方は非常に上手(妻の存在、娘の存在ともに)だった。ジャマでもないし居る意味がないわけでもない。彼女らは物語に自然な重みを与えている。

 

※「都合のいいモード」では映画はキャラクターを描くことができないように思う。最悪の映画は「都合のいいモード」がずっと続く映画なんじゃないだろうか(”ドラえもん Stand By Me”とか・・・。のび太の描写がゼロだった気がする)。

もっとも上手な映画だからフィリップ(上流社会を客にした劇作家)との出会いなど大事なところは手綱を緩めてじっくり描かれている。まぁその後のフィリップの居る意味ないっぷりは残念だったが。。。

パンチが効いてるのは娘が「バレエを始めるのが遅すぎたわ」「本物はサーカスなんかと違うの」と言ってのけているシーン。後半の苦悩への布石としても効いている。しかし、そんな会話のあとバーでフィリップを口説くバーナムのタフさは好きだった。

 

後半はこうなるもんだと思った・・・

この映画ではフリークが大集合するので必然的に「虐げられた者たち」的なキャラが多い。またバーナムも貧乏出身なのでその側面を内蔵したキャラになっている。
ポンポン進んでいく前半を観ながら何のためのハイテンポなのかと窺っていたが、娘の「本物はサーカスなんかと違うの」発言で気づくことができた。バーナムが上流意識を持ちながら成功するとフリークたちは置いてけぼりになる。

バーナムは見た目が普通なので成功さえしてしまえば上に行けるが、見た目でアウトなフリークたちはそうはいかない。つまり二者は分断してしまう。この葛藤を描ければ大変な映画になりそうだと思って観ていると、
まんまとそこに正統派のシンボルみたいなリンドが登場し、彼女の力でバーナムは庶民客だけではなく上流客も手に入れてしまう。分断へと加速する。この成功スピードはそのまま仲間との分断スピードとして跳ね返ってくるのではないかとハラハラしていた。

リンドのステージに驚きと自信の表情を浮かべるバーナムはとても印象的だ。だがその裏でフリークたちとの団結が崩れていくことに本人は気づいていない。
※演出上はフィリップとアン(空中ブランコする女性フリーク)の手が離れ、アンがどっか行っちゃうことで提示されている。
バーナムの過剰な表情は、単に次なる成功への野心だけではなく、過ぎたる欲望が手元の成功をぶっ壊している様も示しているようで、実に見応えがあった。リンドの大迫力の歌唱で高まった雰囲気の中でこの演出は効果が抜群だった。こういううまい演出を観るとテンション上がるw

なおリンドのステージシーン自体はちょっといただけなかった。ダサかった。wikiによれば口パク(歌唱は別人)らしいが、だからってあのダッサイ歌い方はないべ。もうちょいなんかあるべ。それに19世紀にあんなポップな歌あるの?(まぁこれは仕方ないが)

そしてリンドのステージの打上げで分断が顕在化する時が訪れる。打上げには上流客が集まっているのだが、そこに感動したフリークたちが押し寄せてくる。だが入れてもらえない。バーナムが拒んだからだ。それで一気に「どうせ俺たちははみ出し者だから」とグレるフリークたち。

「来た!分断した!こっから丸く収めるか、ぶっちぎって絶縁するか、どっちも面白いぞ」と興奮して観ていたのだが・・・、この後特に分断が描かれることはなく、肩透かしを食らったw。
まぁ俺の山が外れただけなのだが、かといって代わりになるようなテーマも発生してこない。ぼやけた後半だった。「愛が足りない」というセリフがキーワード的に散りばめられているので、これを使った関係性の修復とかをイイ感じに描けそうなのだが。。。

 

苦悩する後半:正統と非正統、大成功と身近な幸せ。しかし何も解決していなくない?

後半の流れはこんな感じ。一言でいうと何の問題も解決していない。なお問題とは次の2点を指す①バーナムの分不相応に事業拡大したい欲、②事業拡大するときに家族やフリークたちが頭からすっぽ抜けること(この点は明示されていないので観る人による部分が大きいかも。明示されていないからぼやけてもいるのだが)。

「バーナムがリンドと全米ツアーへ(家族との関係が希薄に)」 → 「サーカスがマンネリ化して売上減(フリークたちの疎外感が募る)」 → 「フィリップとアンがもつれる」 → 「バーナムとリンドが決裂」 → 「サーカスが火事で焼失し、家族も実家に帰る」 → 「フリークたちが『あなたに生きる希望を教えてもらった』と言って励ます(は?!)」 → 「妻を取り戻しサーカスを再開する」

バーナムはリンドを失い、家族を失い、火事でサーカスも失う。ここで自分の人生を振り返って何か(特に問題点)を改めるかと思いきや別にそんなことはしない。
具体的にどう立ち直ったのか劇の流れを思い出してみると、妻に出て行かれて意気消沈しているところに、周りからわらわらと人の良いフリークたちが集まってきて「あなたに生きる希望を教えてもらった」と励ましの歌と踊りを披露してくれるのである。

この流れを超簡単に言うと、バーナムはこれまでに積んだ善行の貯金(といってもフリークたちを雇っていただけのこと)の力で立ち直るのである。自分が抱えていた問題を解決して問題解決能力が向上するわけではない。

だから別にバーナムの考えが変わるとか世界観が変わるとかそういう成長はないのである。
それはそれでいいのだが、代わりに効いている「フリークを雇っていたという善行」もそんなにいいもんじゃない。人生をやり直すだけの効能があるかは納得できない。なんせ小人のチャールズの雇い方なんて前述のとおりメチャクチャ雑だった。その後で何か関係性を深めるシーンもなかった。

バーナムがフリークたちの傷ついた心を慮るシーンは特になく、自分の成功のためだけに使っていたのである。意地悪くまとめると、あまりにも人間扱いされて来なかったフリークどもは雇って活躍の場を与えただけで「素晴らしい人生をありがとう、バーナムさん!凹まないでよ!」なのである。

あまりにもおめでたい展開でちょっと拍子抜けした。つまりバーナムの悪いところは治っていないのである。分断構造に固執して観たせいで、俺が映画の大事な要素を取り

 

つれづれ・・・

・リンドとは全国ツアーの途中でうまくいかなくなる。スキャンダルなキスで衝撃的な別れ方だったが、その後リンドは一切出てこない。彼女は華やか要素を劇に盛り込むための存在であって、人物自体に意味があるわけではなく用が済んだあとは出す必要がなかったのだろう。

・派手なミュージカルシーンを描くのにCGを多用しているがこれは考え物だった。基本的にCGをバンバン使ってしまうと「何でもできんでしょ、それ使えば」という見方になってしまい冷めるからである。使うならトランスフォーマーとかスパイダーマンみたいにビル壊すのに10秒かけるくらいの大型映像にしないと、どうも安っぽくなる。この映画では少し安っぽいCGだった。また俺だけかもしれないが、CGを多用されるとどうせ音声も調整しまくってんでしょという気持ちになってしまった。

・バーナムが実家に帰った妻をビーチに妻を迎えに行くシーンは冒頭の再現でありベタな見せ場。

・サーカスの再建をみんなで決意するシーン(焼失後のがれきの上)でフィリップとフリークたちが口を合わせて「バーナムに生きる喜びを教わった」という言うが、フィリップってバーナムのサーカスでそんな良い目に遭ってたんだwいつやww

・一風変わった冒頭も印象的。ど頭はショーで始まるのだが、バーナムは会場の聴衆に向けたショーをしていない。むしろ聴衆の座席の下から映画の観客に向けたショーをしている。さらに聴衆もバーナムと一緒にリズムを刻んでショーをつくっている。リアリティを考えるとナンセンスだが、「こういう風に楽しむ映画だよ」というメッセージを送ってくれるので安心して頭空っぽで楽しめた。まぁいろいろ考えちゃったけどw。

こぼしたのかもしれない。

なおフリークたちはバーナムを励ましただけだが彼らには集客力という実力があるため、仲間になってくれただけで即バーナムの稼ぐ力は(ある程度)回復する。その回復した勢いでグレイテストショーをしに行ったのである。

 

※友人から指摘を受けて、ラストのバーナムがあっさりフィリップに興行主を渡すシーンについて考え直そうと思っています。いつか見直そうと思います。