読書、映画、ドライブ、そして事業経理

元コンサルリーマンの雑記ブログ

【映画感想】セルピコ(監督:シドニー・ルメット、脚本:ウォルド・ソルト、ノーマン・ウェクスラー、1973)

※ネタバレあります。ご注意ください!

穏やかに暗い映画。しみじみ浸れる映画。

124分間ある映画。汚職と戦う警官セルピコアル・パチーノ)の物語。目まぐるしい銃撃戦よりも汚職の打開に苦悩する会話シーンが多い。加えて音楽も静かなものがメインでそのためか疲れなかった。音楽が流れたとしてもマンドリン系のBGMでこれまた穏やかだった。ただし劇は汚職を暴こうとするセルピコの身の安全が保障されない状態で進む。そのため気が抜けずあっという間の124分だった。

 

冒頭がクライマックスという倒置法。だがラストの印象はあいまい・・・。

冒頭はセルピコが撃たれるクライマックスで始まる。担ぎ込まれたセルピコの安全を守るため多数の警官が警護に配備される。私はそのシーンの解釈を間違ってしまった。セルピコを何としても警察が守りたい『人望ある警官』、『仲間から愛された警官』であることを示すシーンなのだと理解してしまったのだ。

 

これは全く逆で、セルピコは最後まで警察の中で敵だらけだ。セルピコが撃たれた時の上官のセリフから『撃つ心当たりのあるやつがやたら多いな。嫌われとるんやな・・・』と読み取るべきであった。演出的にも十分そう示していたのだろう・・・笑


警察の汚職は新聞社タイムズに告発して大々的に報じられても抜本的には治らない。ラストで聴聞会を開き、社会が聞き入れるまでどうにもならない(まぁちゃんと汚職がなくなったかは示されていないのだが)。警察だけじゃ自浄作用は効かずに永遠にもみ消されていただろう。

 

さてここで「あいまい」なラストの印象について。

ラストでセルピコが撃たれたことは彼が社会への発信力を手に入れるイベントとして機能したように思えた。明示されていないものの撃たれたことは社会がセルピコに関心を持つキッカケとして作用したようだった。だからこの映画としてはセルピコの終わりなき汚職との闘いに幕を下ろした大きな転換点だったのだと思う。大事なシーンということだ。しかし最後の聴聞会が何気なく始まったからか印象には残らなかった。。。

 

もっとこの辺を印象的なシーンにできなかったのかね。撃たれたこと自体は倒置法も相まって印象的だったがこれでは「いつハメられるかわからない状態で結局彼は撃たれちゃいました」という点を最も押しており、聴聞会で「彼の戦いはついに報われました」という点を押さない形になっているように思える。

 

映画としては後者の方が断然押す甲斐があるように思えるのだが、この作品では前者を押しているのだろうか?でもそうだとしたらたれる直前に仲間が全然助けてくれないシーンでの恐怖をもっと強調して描くだろうと思う。ということはやっぱり後者を押しているのだろうが、それにしてはラストの印象があいまいだったなと感じる。だから終わり方がちょっと物足りなかった。

 

セルピコの人となりの描き方:周囲の人物との対比から

前半では周りの人々がセルピコの人となりを示す上で効果的に使われている。たとえば初めの彼女とその友人たちだ。彼女自身はバレリーナを目指している。そしてその友人は詩人やら作家、女優であるらしい。しかしそう言いながらも一時の腰掛としてサラリーマン・OLをしている。そんな彼・彼女らについてセルピコ「なんで君の友達はみんな本来の仕事をしていないんだい?」と聞く。鋭い質問だ。誰一人として本業一本槍がいないのである。

 

本気で警官をやっているセルピコにこれを言われるとたまらない。彼・彼女らはみんなかっこつけで華やかな職業を名乗っているだけなのだ。その証拠にセルピコに芸術論をぶつ女性のセリフは誰が聞いてもわかるくらい「薄っぺら」にされてしまっている。これらが相まって、不思議そうに尋ねるセルピコの顔は実に印象深い。


軽薄で上っ面だけの人間とセルピコを対比することで、セルピコの真摯な人間性を浮かび上がらせる効果があったと思う。そして痛快なシーンだと思う。またセルピコは酔ってしまえばそんな友人たちとも冗談交じりで気さくにパーティを楽しんでおり、そんな様子から彼が「気のいいやつ」であることが分かる。観ているとセルピコの魅力に徐々に魅了される。まだ汚職の中で身の危険が迫っておらず楽しめるフェーズだ。ついでに触れると、劇を通じてどんどん伸びていくセルピコのヒゲもビジュアル的に飽きない(笑)。


他にもセルピコの人柄を浮かび上がらせる役として下手をこく警官が出てくる。泥棒追跡中にセルピコもろとも銃を乱射してしまう警官だ。彼は乱射のせいで市民の車を傷つけており、自分が始末書を書かずに済むように泥棒逮捕の功績をセルピコにおねだりする。くそ野郎だがセルピコは悪態をついた後に手柄を譲る。この警官は相手を確認もせずに射撃するビビりで情けない警官だ。観る者は自然とセルピコとこの警官を対比してしまい、堂々と泥棒を捕まえて手柄まで渡すセルピコに感情的に味方するだろう。

 

なおこの対比をより鮮明にするために、ここでの逮捕劇はセルピコが相当体を張ったもものにされている。渡す手柄が重たい方がいいイメージが増すからだ。セルピコが階段を転げまわってまで捕まえた泥棒なのだ。

 

他の印象的なシーン

告発の相棒となるノッポ(役名わからんかった・・・)との出会いも印象的に描かれている。ピンチが続くセルピコの相棒なので観る側としては「信用できるやつ」なのか、「いいやつ」なのかを把握したい気持ちが働くキャラクターなのだが、出会い方が実に良く安心できるキャラであることが分かりやすく示されている。

 

こんな出会い方だ。私服警官としての座学にてマリファナの実物を吸うところで隣同士として登場してくるのだ。教官にマリファナを吸うぞ~と言われて教室内は「オイオイマジかよ、儲けもんじゃん!」みたいなウキウキ感が出る。そして一緒に吸ったノッポは「上物だ」と超ご機嫌。こんな状況で仲良くならないわけがない笑。その後地下鉄のホームで一緒にラリッた会話をたっぷりして見せる。これで観客もノッポに対してセルピコ同様に親密な気持ちになれる。「良いやつ」認定ができるのだ。こんな流れを自然に導けるのでマリファナを一緒に吸うのはとても工夫された演出だと思った。

 

やっぱりアル・パチーノ。ブチギレたら天下一品...!!

セルピコは中盤まで慎重だ。あまり表立って告発すると命が危ないから、周りをうかがいながら自分だけは裏金を受け取らないようにする。しかし中盤でついにブチギレるシーンがある。ここで思い出す。「こいつはアルパチーノだ」ということを。キレたときの彼の演技はやはり最高だ。余談だが私が初めてアル・パチーノの映画を観たのは大学生の時、平日昼間の『スカーフェース』のリバイバル上映でだった。5人しか客がいない。しかも主婦ばっかだ。そんな中ノーカット版180分が一瞬だったのを強烈に覚えている。あの主婦たちも同じように感じたのだろうか(感じていれば飲み友達になりたい笑)。

 

彼がブチギレるとそのくらい魔法がかかる。はっきり言って普通のストレスならぶっ飛んでしまう。「暴力シーンはこうでなくっちゃ」という要素が全部詰まっていて物足りなさがない。しかも過剰さもない。私にとって最高の怒り爆発シーンだ。中盤までの穏やかな展開からうっかり忘れていたが、あのアル・パチーノを感じたシーンだった。もうこれだけで私には最高だった。

 

ちなみにこの映画はアメリカ・イタリア合作だそうだ。イタリア要素は主に音楽くらいかな?ロケ地はすべてアメリカだろうし、合作感がまるでなかったな。1976年に「アウトロー刑事・セルピコ」としてドラマ化したとのこと。機会があれば観比べてみたい。面白かった。